まず聴く
たぶん、知っている。
「Volare」Gipsy Kings(1989)
日本では、キリン「麒麟淡麗〈生〉」のCMで長年流れてきた、ビールのCM曲の大定番。
夏の一杯目みたいなギターだ。ここまでは、いつも通り。
でも、これ。
原曲じゃない。
1958年、原曲
原曲は、31年前のイタリアで生まれている。1958年、イタリアの歌手ドメニコ・モドゥーニョが発表した「Nel blu dipinto di blu(青に染まった青の中)」。世界がこの歌を「Volare」の名で呼ぶようになる、その大元だ。
そしてこの歌は、その年のうちに大西洋を渡った。1958年8月17日、モドゥーニョはニューヨークにいた。アメリカの人気テレビ番組、エド・サリヴァン・ショーのステージだ。
「Nel blu dipinto di blu」Domenico Modugno(1958)
イタリア語のまま、アメリカのお茶の間へ。
両手を広げ、空を見上げて歌う。volare——「飛ぶ」という意味の、あの一語を。


同番組の映像より。両手を広げて歌い、歌のあとに握手を交わす
翌年の春、この歌は歴史の最初のページに載る。
1959
THE 1st GRAMMY AWARDS
RECORD
OF THE YEAR
SONG
OF THE YEAR
Nel Blu Dipinto Di Blu (Volare)
第1回グラミー賞・最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞をダブル受賞(GRAMMY.com 公式アーティストページ)
グラミーという賞の、いちばん最初の主役は、英語の歌ではなかった。イタリア語の、この歌だった。
同じ1958年には、ディーン・マーティンが英語版を出している。歌はもう、作者の手を離れて飛びはじめていた。
ここで、最初の曲に戻る。
同じ曲。でも、もう同じようには聴こえないはず。
二度目のジプシー・キングス
原曲から約30年。フラメンコ・ギターの一団、ジプシー・キングスがこの歌を取り上げ、彼らの「Volare」は、日本ではビールのCM曲の大定番になった。
もう一度、冒頭の映像を再生してみてほしい。そして今度は、歌詞の「音」に耳を澄ませてほしい。
「Volare」Gipsy Kings — 二度目
気づいただろうか。彼らは、イタリア語で歌っていない。
ジプシー・キングスのVolareは、スペイン語だ。
イタリアで生まれ、アメリカで賞を取り、30年かけてスペイン語の服に着替えた。
あなたが知っていた「あの曲」は、長い旅の、途中の姿だった。
そして歌は、日本の声と出会う。
日本のボラーレ
ジプシー・キングスの創設メンバーのひとり、チコ・ブシキが率いるチコ&ザ・ジプシーズが、パリのスタジオに日本から歌い手を招いた。
松崎しげる、その人である。曲名は「愛のボラーレ」。
「愛のボラーレ feat. シゲル・マツザキ」チコ&ザ・ジプシーズ
イタリア語、英語、スペイン語ときて、今度は日本語。
この歌は、着替えるたびにその土地の顔になる。
最後は、2025年の夏。
旅の終わりは、いつも出発した場所だ。
ウンブリア・ジャズの大合唱
イタリア・ペルージャの野外フェス「ウンブリア・ジャズ」。この夜のステージに立ったのは、ロンドン生まれの音楽家ジェイコブ・コリアー。客席そのものを巨大な合唱団に変えてしまうことで知られる人だ。
クイーンの「Somebody to Love」を観客と歌ううち——この歌が、飛び出した。67年前にこの国から飛び立った、あのメロディが。
「Somebody to Love / Volare」客席とジェイコブ・コリアー
誰も楽譜なんて見ていない。イタリアの夜空の下、客席ぜんぶが声を合わせる。
みんな、この歌を覚えているのだ。生まれる前から知っていたみたいに。
知っている曲ほど、
知らない旅をしている。
そしてこの歌の旅は、たぶんまだ終わっていない。
A song has been flying for 67 years — and it hasn't landed yet.
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