A SONG FINDS ITS WAY HOME

歌は、故郷へ
帰ってくる。

フジファブリック「若者のすべて」

真夏のピークが去った
天気予報士がテレビで言ってた

—「若者のすべて」作詞:志村正彦

夕方6時。富士山の麓の町に、この歌が流れる。
書いた青年は、もう、この世界にいない。
それでも歌は、いまも人から人へ渡りつづけている。
まずは、これを聴いてほしい。

画像:suis from ヨルシカ「若者のすべて」Music Videoより

THE SONG / 2007

まずは、この歌から。

8月の終わり。夏のいちばん高いところを過ぎて、日暮れが少しずつ早くなる。 この歌は、ちょうどそういう時間から歌い出される。

「若者のすべて」フジファブリック

公式ミュージックビデオ(2007)公式YouTube

2007年。夏が終わる少し前の、名前のつけられない時間を、
山梨県富士吉田市生まれの志村正彦は、一曲にした。

この歌を書いた青年にも、憧れの一曲があった。

MASAHIKO SHIMURA

少年が憧れた人

「ユニコーンの楽曲は
ほぼ全曲やりましたね」

— 志村正彦(Billboard JAPANのインタビューで)

中学の頃、同級生とカラオケに行くと、志村は流行りの歌を歌わなかった。 奥田民生とユニコーンばかり歌っていたと、地元の友人が証言している。

きっかけは、地元の遊園地だった。富士急ハイランドで見た、奥田民生のライブ。 そこから少年は、音楽の道へ歩き出す。

高校ではユニコーンをコピーした。ほぼ全曲。志村が受け持ったのは、いつも奥田民生のパートだった。

「大迷惑」UNICORN

志村が歌っていた音楽(1989年・公式ミュージックビデオ)ユニコーンの部屋へYouTube

左:「若者のすべて」MUSIC VIDEOより/右:夕暮れの富士吉田と富士山(Wikimedia Commons・CC0)

ユニコーンに憧れて、バンドを始めた一人の青年。

2009年12月、志村正彦は29歳でこの世を去った。

翌年の夏。

FUJI-Q HIGHLAND

憧れていた人が、
今度は彼の歌を歌う。

残されたメンバーは、ライブ「フジフジ富士Q」を開いた。 場所は、富士急ハイランド。志村が初めて奥田民生を見た、あの遊園地だ。 ステージに立った民生が歌ったのは、やはり「桜の季節」だった。

かつて、民生の歌を歌っていた少年。

その少年の書いた歌を、民生は歌い続けている。

「桜の季節」奥田民生

LIVE DVD『ひとり股旅スペシャル@広島市民球場』より(奥田民生公式)奥田民生公式YouTube

「若者のすべて」山内総一郎 × 奥田民生 × 斉藤和義

フジテレビ『TOKYO SESSION -Rockin' Gambler-』2017年12月放送フジテレビ番組ページ

それから、この歌は多くの声を通っていく。

PASSING THE SONG

歌は、歌った人のものに
なりながら、消えずに残る。

志村がいなくなっても、歌は止まらなかった。

「いつも自分の曲みたいに歌ってごめんね」

— 桜井和寿。フェスで感謝を伝えた山内総一郎が、テレビ番組で明かした言葉

「若者のすべて」Bank Band(桜井和寿)

ap bank fes '11 Fund for Japan(ap bank公式)ap bank公式YouTube

歌は、歌った人の声に少しずつ形を変える。 それでも、不思議なくらい、同じ夏が残っている。

2024 / TO A NEW VOICE

そして、この歌を
知らなかった夏へ。

名曲が懐メロになるのか、いまの歌であり続けるのか。それを決めるのは、生まれた年ではないのかもしれない。

2024年、「若者のすべて」はNetflix映画の主題歌として、また別の声に渡った。 歌うのは、suis。ヨルシカの声だ。

この歌はいま、高校の音楽の教科書にも載っている。

「若者のすべて」suis from ヨルシカ

UNIVERSAL MUSIC JAPAN公式ミュージックビデオSony Music 主題歌ニュース
「茜色の夕日」MUSIC VIDEOより

「茜色の夕日」MUSIC VIDEOより

HOME

故郷へ戻る

そして、歌はまた、

景色の中へ戻っていく。

河口湖 冬花火「湖上の舞」(2009年1月)YouTube

EVERY SUMMER / 18:00

歌は、いまも鳴っている。

夕方6時。富士山の麓の町に、一曲の歌が流れる。

夕暮れの富士吉田(Wikimedia Commons|左: Giuseppe Milo・CC BY 3.0/右: CC0)

富士吉田の防災放送のチャイム。曲は、「若者のすべて」。 ヒット曲の宣伝ではない。市役所の若手職員がはじめた企画で、言い出した一人は、志村の同級生だった。

富士吉田の夕焼けチャイム「若者のすべて」(FUJISAN DRONE BASE)富士吉田市公式サイト

この物語を、今日はじめて知った人がいる。ずっと前から知っていた人がいる。
歌は、そうやって語り継がれていく。

志村正彦の歌は、
いまも故郷の空に響いている。

また、夏の終わりに。

この歌が、どこかから聞こえてくる。

A song born in Fujiyoshida found its way home.

編集部メモ

私がこの曲を知ったのは、恥ずかしながら去年のことでした。 フジファブリックというバンドのことも、こんな物語があったことも、友人から聞かされるまで知らなかった。

この歌に出会うタイミングは、人それぞれでいい。 ただ、これから毎年、夏が終わりに近づくと、私はこの曲をかけるだろう。 そして、富士山の近くを通るたびに、この歌を思い出すだろう。

いい歌には、景色と季節を連れて戻ってくる力がある。この歌は、間違いなく、そのひとつだ。

編集後記

まだ少し、このバンドを聴いていたい人へ。