THE SONG / 2007
まずは、この歌から。
8月の終わり。夏のいちばん高いところを過ぎて、日暮れが少しずつ早くなる。 この歌は、ちょうどそういう時間から歌い出される。
「若者のすべて」フジファブリック
2007年。夏が終わる少し前の、名前のつけられない時間を、
山梨県富士吉田市生まれの志村正彦は、一曲にした。
この歌を書いた青年にも、憧れの一曲があった。
MASAHIKO SHIMURA
少年が憧れた人
「ユニコーンの楽曲は
— 志村正彦(Billboard JAPANのインタビューで)
ほぼ全曲やりましたね」
中学の頃、同級生とカラオケに行くと、志村は流行りの歌を歌わなかった。 奥田民生とユニコーンばかり歌っていたと、地元の友人が証言している。
きっかけは、地元の遊園地だった。富士急ハイランドで見た、奥田民生のライブ。 そこから少年は、音楽の道へ歩き出す。
高校ではユニコーンをコピーした。ほぼ全曲。志村が受け持ったのは、いつも奥田民生のパートだった。
「大迷惑」UNICORN


左:「若者のすべて」MUSIC VIDEOより/右:夕暮れの富士吉田と富士山(Wikimedia Commons・CC0)
ユニコーンに憧れて、バンドを始めた一人の青年。
2009年12月、志村正彦は29歳でこの世を去った。
翌年の夏。
FUJI-Q HIGHLAND
憧れていた人が、
今度は彼の歌を歌う。
残されたメンバーは、ライブ「フジフジ富士Q」を開いた。 場所は、富士急ハイランド。志村が初めて奥田民生を見た、あの遊園地だ。 ステージに立った民生が歌ったのは、やはり「桜の季節」だった。
かつて、民生の歌を歌っていた少年。
その少年の書いた歌を、民生は歌い続けている。
「桜の季節」奥田民生
「若者のすべて」山内総一郎 × 奥田民生 × 斉藤和義
それから、この歌は多くの声を通っていく。
PASSING THE SONG
歌は、歌った人のものに
なりながら、消えずに残る。
志村がいなくなっても、歌は止まらなかった。
「いつも自分の曲みたいに歌ってごめんね」
— 桜井和寿。フェスで感謝を伝えた山内総一郎が、テレビ番組で明かした言葉
「若者のすべて」Bank Band(桜井和寿)
歌は、歌った人の声に少しずつ形を変える。 それでも、不思議なくらい、同じ夏が残っている。
2024 / TO A NEW VOICE
そして、この歌を
知らなかった夏へ。
名曲が懐メロになるのか、いまの歌であり続けるのか。それを決めるのは、生まれた年ではないのかもしれない。
2024年、「若者のすべて」はNetflix映画の主題歌として、また別の声に渡った。 歌うのは、suis。ヨルシカの声だ。
この歌はいま、高校の音楽の教科書にも載っている。
「若者のすべて」suis from ヨルシカ

「茜色の夕日」MUSIC VIDEOより
HOME
故郷へ戻る
そして、歌はまた、
景色の中へ戻っていく。
EVERY SUMMER / 18:00
歌は、いまも鳴っている。
夕方6時。富士山の麓の町に、一曲の歌が流れる。


夕暮れの富士吉田(Wikimedia Commons|左: Giuseppe Milo・CC BY 3.0/右: CC0)
富士吉田の防災放送のチャイム。曲は、「若者のすべて」。 ヒット曲の宣伝ではない。市役所の若手職員がはじめた企画で、言い出した一人は、志村の同級生だった。
この物語を、今日はじめて知った人がいる。ずっと前から知っていた人がいる。
歌は、そうやって語り継がれていく。
志村正彦の歌は、
いまも故郷の空に響いている。
また、夏の終わりに。
この歌が、どこかから聞こえてくる。
A song born in Fujiyoshida found its way home.
編集部メモ
私がこの曲を知ったのは、恥ずかしながら去年のことでした。 フジファブリックというバンドのことも、こんな物語があったことも、友人から聞かされるまで知らなかった。
この歌に出会うタイミングは、人それぞれでいい。 ただ、これから毎年、夏が終わりに近づくと、私はこの曲をかけるだろう。 そして、富士山の近くを通るたびに、この歌を思い出すだろう。
いい歌には、景色と季節を連れて戻ってくる力がある。この歌は、間違いなく、そのひとつだ。
編集後記



