Feature — 星勝(Katz Hoshi)· 11 songs
君は星勝を知っているか〜名前は知らなくても、音は知っている。
日本のうたを支えた編曲家を辿る旅〜
若い世代は、もう名前を知らないかもしれない。それでも、日本の音楽史に刻まれている人がいる。
モップスのギタリストで、井上陽水「氷の世界」を編曲した、星勝。その仕事と足跡を、11曲で一緒に辿る旅。
IN THIS ISSUE
日本でいちばん有名な、
知られていない音楽家がいる。
モップス。井上陽水。小椋佳。RCサクセション。来生たかお。薬師丸ひろ子。安全地帯。尾崎豊。浜田省吾。名前だけ並べれば、昭和から平成のヒット曲の山になる。
そのほとんどに、同じひとりの名前がクレジットされている。星勝(ほし かつ)。1948年8月19日生まれ、デビューしたての頃の芸名は「星まさる」だったWikipedia。19歳でギタリストとしてバンドでデビューし、解散してから編曲家に転じた人だ。
編曲は、歌の裏方だ。作詞と作曲の名前は覚えられても、編曲の名前は覚えられない。だからこの人は、日本でいちばん有名な「知られていない」音楽家になった。
その人が生きてきた時代も、一緒に連れてくる。1973年10月、第四次中東戦争を機に第一次オイルショックが始まり、翌1974年には消費者物価が23パーセント上がって「狂乱物価」という言葉が生まれ、日本は戦後初めてのマイナス成長を経験して、高度経済成長が終わったWikipedia。同じ時期、若者はロングヘアにベルボトムのジーンズ、絞り染めのTシャツを着て、女性もジーンズをはくようになっていたマイナビウーマン。明るい曲が売れた時代じゃない。

写真:Keijo Laajisto / Museovirasto(CC BY 4.0)
最初は、ギターを抱えた19歳の少年から始まる。
1967年の夏、アメリカ・サンフランシスコのヘイト・アシュベリーには、最大で10万人の若者が集まったといわれる。長い髪、花、反戦。この夏は「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれたWikipedia — サマー・オブ・ラブ。

写真:Pieter Jongerhuis / Anefo(CC0)
同じ年、日本でデビューしたモップスは、日本のサイケデリック・ロック・バンドと呼ばれたWikipedia — 星勝。
写真:Derek Redmond and Paul Campbell(CC BY-SA 3.0)
目隠しで弾いた19歳。客は昼も夜も、同じ5人
ザ・モップス - 朝まで待てない
1967
1966年、埼玉で4人の高校生が「チェックメイツ」というインストバンドを組んでいた。そこにドラムの実兄がヴォーカリストとして加わって、5人になった。モップスであるWikipedia。
1967年11月、日本ビクターから「朝まで待てない/ブラインド・バード」でデビューWikipedia。作詞は阿久悠、作曲は村井邦彦。星勝はこのとき19歳だった。
当時のグループ・サウンズは、揃いの衣装でプールやデパートの屋上で演奏するのが普通だった。モップスは違った。全員バラバラの奇抜な衣装で、ステージには楽器を縦に並べ、目隠しをして演奏したWikipedia。ホリプロ社長の堀威夫が1967年のアメリカ旅行で見たサイケデリック・ムーヴメントを持ち帰り、「日本最初のサイケデリック・サウンド」を掲げたのが発端だったWikipedia。
モップスを担当したホリプロの社員は、当時をこう書いている。仕事といえばジャズ喫茶の出演がほとんどで、最悪のときは昼夜のステージの客が、最初から最後まで同じ5人だった、とmusic-calendar.jp(当時の担当者による回顧)。
聴きくらべ — 星勝が歌っている代表曲
その星勝が、初めて「自分の名前で」譜面を書く日が来る。
初めて書いた譜面は、ブーイングから始まった
ザ・モップス - 御意見無用
1971
1971年1月25日発売。作詞は鈴木ヒロミツ(鈴木博三名義)、訳詞は喰始、作曲は星勝昭和歌謡の編曲家 代表作一覧。
星勝はモップスの曲の半分近くでリード・ヴォーカルを取っていた。それなのに、その声を「鈴木ヒロミツのヴォーカル」と書かれることが今も多いShimaQ の 今日この頃。
同じ年、モップスはヤマハの作曲コンクールにフルバンド編成で出ている。星勝が初めてフルバンドのアレンジを書いたのがこれで、楽器の音域はハプニングス・フォーのクニ河内にもらった音域表を見ながら書いた。ところがその表は「ほぼ楽器の限界音」が書いてあったため、音合わせでミュージシャンからブーイングが出たmusic-calendar.jp。譜面を引き上げ、その場で書き直して本番に間に合わせ、モップスの「雨」はグランプリを取ったmusic-calendar.jp。
この「御意見無用」は、その年の勢いがそのまま入った曲だ。
聴きくらべ — 尖っていた頃の記録
1974年、モップスは解散する。星勝は、歌うのをやめた。

1970年3月15日から183日間、大阪・千里丘陵で日本万国博覧会が開かれた。アジアで初めての万博で、総入場者数は6421万人を超えたWikipedia — 日本万国博覧会。モップスが活動していた頃、日本はこんな未来の形を見上げていた。
譜面が読めない男が、譜面を書き込んだ
井上陽水 - 心もよう
1973
星勝がモップス以外の仕事を初めてやったのは、井上陽水のデビュー・アルバム『断絶』の編曲だったWikipediamusic-calendar.jp。
演奏は、鈴木ヒロミツ以外のモップスのメンバーがそのまま担当した。星勝がやりやすく、予算も抑えられる、一石二鳥のアイデアだったmusic-calendar.jp。
当時、編曲といえば正式な音楽教育を受けた人がやるのが普通だった。星勝はほぼ独学で、のちに「譜面が読めなかった」と告白しているWikipedia。コードだけ書いて演奏家に任せるのが当たり前だった歌謡曲の現場で、『断絶』ではほとんどの楽器の譜面を緻密に書き込んだと言われているWikipedia。
「心もよう」は1973年9月21日発売。陽水にとって初めてオリコン・シングルチャートのトップ10に入った曲であるWikipedia — 氷の世界(アルバム)。曲名をつけたのは、プロデューサーの多賀英典だったWikipedia — 多賀英典。
そして、その年の12月。日本でいちばん売れるアルバムが生まれる。

同じ1970年3月、『an・an』が創刊されたWikipedia — an・an。翌1971年5月には『non-no』Wikipedia — non-no。若い女の子たちが、雑誌を片手に街へ出ていく時代が始まる。
シャッターの下から売れた、日本初の100万枚
井上陽水 - 氷の世界
1973
1973年12月1日、アルバム『氷の世界』Wikipedia。当時の日本人アーティストとしては珍しく、ロンドンで録音された。クォーターマスのピート・ロビンソンとジョン・ガスタフソン、後にイアン・ギラン・バンドに参加するレイ・フェンウィック、ローリング・ストーンズ「悲しみのアンジー」のストリングス編曲を務めたニック・ハリソンが参加しているWikipedia。
表題曲「氷の世界」の編曲は、星勝とニック・ハリソンの連名Wikipedia — 氷の世界(曲)。それまでフォーキーな曲が多かった陽水が、この曲ではかなりファンク色を出している。スティーヴィー・ワンダーの「迷信」を意識して作られたというWikipedia — 氷の世界(曲)。
いま鳴っているこの映像は、投稿者が「TV初出演」と題して残しているものだ。九州ニューミュージックフェスティバルの模様で、若い陽水が「窓の外ではリンゴ売り」と歌っている。
ジャケットの写真は、楽屋でギターを弾く陽水。そのギターは忌野清志郎の所蔵品だったと、忌野本人が後日談として語っているWikipedia。
発売から2年後の1975年8月、日本レコード史上初のLP販売100万枚突破Wikipedia。福岡・天神の日本楽器では、開店前の朝8時から客が殺到し、シャッターが下りたまま係員が段ボールからレコードを取り出して即売したというWikipedia。
聴きくらべ — 2020年、森恵の「氷の世界」
同じ1974年、星勝はロサンゼルスで、別のアルバムを作っていた。

100万枚の『氷の世界』が出た1973年12月。日本も世界も、オイルショックのただ中にいたWikipedia — オイルショック。
ゴーストバスターズの男と、ロサンゼルスで
井上陽水 - 旅から旅
1974
1974年10月1日、アルバム『二色の独楽』。全曲がロサンゼルスで録音されたWikipedia — 二色の独楽。
参加ミュージシャンがすごい。後に映画『ゴーストバスターズ』で知られるレイ・パーカー・ジュニア、ソロデビューしたばかりのジェシ・エド・デイヴィス、フィル・スペクターのアレンジャーだったジャック・ニッチェ、ジーン・ペイジ。クルセイダーズのジョー・サンプルとウィルトン・フェルダー、ハービー・メイソンも名を連ねるWikipedia — 二色の独楽。
星勝はこのアルバムの編曲を手がけた。当時、一緒に仕事をしていた人物は「このレコーディングでの星のアレンジに対して、スタジオ・ミュージシャンや他のアレンジャーからの評価は、一緒に仕事をしてきた僕が誇らしく思えるほど絶賛された」と書いているmusic-calendar.jp。
この作品で星勝は日本レコード大賞の編曲賞を受賞したWikipediaShimaQ の 今日この頃。売上も82万枚Wikipedia — 二色の独楽。
その頃、ポリドールにいた多賀英典が、自分の会社を作っていた。

「何でオレが…」から始まった、シクラメン
小椋佳 - シクラメンのかほり
1975
1972年10月、ポリドールのプロデューサーだった多賀英典が独立して、キティ・ミュージック・コーポレーションを設立するWikipedia — 多賀英典。のちのキティ・レコードであり、キティ・フィルムである。星勝はポリドール時代に多賀と、ミキサーの大野進と知り合い、以後ずっと多賀の作品をサウンド面で支えることになるWikipedia。
その多賀に「小椋佳やってみない?」と言われたとき、星勝は「何でオレが…」と思ったという。返ってきたのは「陽水や安田裕美に好きに曲を書いていいよ」だったWikipedia。
「シクラメンのかほり」と「めまい」では、多賀から小野崎孝輔と一緒に作るように指示された。クラシック出身の小野崎がスケッチ・アレンジを渡すと、全部ロックに書き換えられて戻ってきたWikipedia。小野崎の証言が残っている。「大変な作業だったが、ロックを全く脈絡も根拠もなく全面に押し出すパワーには、すごいヤツが現れたと舌を巻きました」Wikipedia。
この時期、世間で小椋佳の曲として知られている曲が、実は星勝の作曲だった、という例が数多くあるWikipedia。
聴きくらべ — 星勝が歌う「スタンド・スティル」
キティは、このあと日本でいちばん強いロックバンドを抱えることになる。
清志郎、ご不満。でも半世紀、歌い継がれた
RCサクセション - スローバラード
1976
1976年1月21日、RCサクセションが久しぶりに出したシングル。編曲は星勝とRCサクセション。ちょうど日本公演中だったタワー・オブ・パワーのホーン・セクションが録音に加わっているWikipedia — スローバラード。
映画の主題歌にもなった。1991年の『![ai-ou]』、2015年の『ラブ&ピース』と、2本の映画の主題歌になったWikipedia — スローバラード。ゴスペラーズ、和田アキ子、Bank Band、槇原敬之、Superfly、渋谷すばる、鈴木雅之……と、歌い継ぐ人の列は今も続いているWikipedia — スローバラード。
録音の当時は、順風ではなかった。同じ年のアルバム『シングル・マン』はほとんど売れず、いったん廃盤になったが、のちに正式に再発売されているWikipedia — RCサクセション。
忌野清志郎は、あとからこう語っている。「モップスは好きだったから、あの感じやヴァニラ・ファッジみたいなものを期待したのに、井上のアルバムみたいにされそうになった」Wikipedia。
清志郎が「思っていた音と違う」と感じた録音が、半世紀たったいま、2本の映画の主題歌になり、歌い継がれている。編曲という仕事の不思議が、この1曲に詰まっている。
思いどおりにならなかった録音が、半世紀残った。
それでも、星勝の電話は鳴り続けた。次は、来生姉弟だった。

第1次オイルショックは1977年3月まで続いたWikipedia — オイルショック。長いトンネルを抜けた街に、80年代が来る。
同じメロディが、11日違いで2回ヒットした
来生たかお - 夢の途中
1981
作詞は姉の来生えつこ、作曲は弟の来生たかお。姉弟のソングライター・コンビだWikipedia — 来生たかお。1976年のデビュー・アルバム『浅い夢』から、星勝はアレンジャーとして加わっていたWikipedia — 来生たかお。
1981年、来生たかおは「夢の途中」を歌う。薬師丸ひろ子が歌った映画の主題歌「セーラー服と機関銃」と同じメロディの曲で、どちらも編曲は星勝。シンプルなアルペジオとドラムスで始まる音が耳に残るWikipedia — セーラー服と機関銃(曲)。来生版はオリコン集計で40.6万枚を売ったWikipedia — セーラー服と機関銃(曲)。
来生たかおは、控えめで都会的、ノスタルジックな作風で、ほとんどビブラートを掛けない歌い方は「来生節」と呼ばれるWikipedia — 来生たかお。その声を、星勝はどう鳴らしたか。
そして1982年、姉弟の曲は中森明菜に渡る。
1982年11月10日、中森明菜の3枚目のシングル「セカンド・ラブ」が出る。作詞は来生えつこ、作曲は来生たかお、編曲は萩田光雄Wikipedia — セカンド・ラブ(曲)。
オリコン週間1位を通算6週。1983年度の年間8位、およそ77万枚で、明菜のシングルでいちばん売れた曲になったWikipedia — セカンド・ラブ(曲)。もとは、大橋純子に渡すつもりで作られた曲だったWikipedia — 来生たかお。
星勝が編んだのは、作った本人が歌うほうの「セカンド・ラブ」だ。来生たかおの録音のクレジットに、編曲 星勝の名前があるWikipedia — 星勝。
同じメロディでも、編曲と声が変われば、歌の景色が変わる。17歳の明菜の歌と、ほとんどビブラートを掛けない作者の歌。聴きくらべてみてほしい。
聴きくらべ — 同じメロディのもうひとつの声と、ふたつの「セカンド・ラブ」
同じメロディでも、声と編曲で景色が変わる。
この年、キティはもうひとつのバンドを売り出そうとしていた。
「歌謡曲っぽくて売れそうな曲」を、本気で狙った
安全地帯 - ワインレッドの心
1983
安全地帯は1973年、北海道旭川市で玉置浩二と武沢豊を中心に結成された。井上陽水のバックバンドとして全国ツアーを回り、1982年にデビュー。1983年11月25日発売の「ワインレッドの心」が71.4万枚の大ヒットになったWikipedia — 安全地帯(ロックバンド)。
作詞は井上陽水、作曲は玉置浩二、編曲は安全地帯と星勝、プロデュースも星勝Wikipedia — ワインレッドの心。ヒット曲が出ない安全地帯に、スタッフは陽水への作曲依頼を考えたが、玉置が断った。玉置いわく「歌謡曲っぽくて売れそうな感じの曲」を狙って作ったWikipedia — ワインレッドの心。オリコン週間1位、1984年度の年間2位Wikipedia — ワインレッドの心。
ここが、多賀英典のキティ・レコードが最大の果実を取った場所である。多賀がポリドールから独立したのは1972年Wikipedia — 多賀英典。そこから11年。
この曲は海を渡った。香港の譚詠麟(アラン・タム)が「酒紅色的心」として広東語でカバーし、1984年のアルバム『愛的根源』に収めているWikipedia(中文) — 愛的根源広東語カバーソング事典。
聴きくらべ — 海を渡った夜と、もう1曲の星勝の編曲
最後は1992年。11年前の歌が、星勝の手でもう一度生まれ変わる。
11年後に降り直した雪、170万枚
浜田省吾 - 悲しみは雪のように
1992
もとは1981年の曲。1992年、フジテレビのドラマ『愛という名のもとに』の主題歌になったのをきっかけに、アレンジを大きく変えて録り直し、シングルで出し直したWikipedia — 悲しみは雪のように。
イントロはポリスの「見つめていたい」に似ていると言われる。でも浜田省吾の頭にあったのは、ジュード・コールというアーティストの曲だった。その曲を星勝に聴かせて「こういう感じにしたい」と頼んだ。結果は、累計170.3万枚、通算10週1位。浜田のシングルで過去最大のヒットになったWikipedia — 悲しみは雪のように。
星勝は1991年、スタジオジブリ『おもひでぽろぽろ』の音楽を担当している。2013年の映画『ペコロスの母に会いに行く』では音楽監督を務めた。1990年には尾崎豊のアルバム『誕生』全20曲を編曲した。浜田省吾とは1977年の「木枯しの季節」から。縁をつないだのは、モップスのドラマーだった鈴木幹治。浜田のプロデューサーになっていた彼が、星を呼んだWikipedia — 星勝。「悲しみは雪のように」の依頼も、いつもと変わらず「カッコ良いサウンドにして下さい」だったと本人が振り返っている週刊現代。
いま星勝は、宮城県村田町の親善アンバサダーを務めているニュース映像。町の讃歌「クラリン」も、この人が作曲したWikipedia。
名前を知らなくても、あなたはこの人の音を聴いている。
最後にもう一度、04章の、若い陽水が歌う「氷の世界」を聴いてみてほしい。
星勝さんのことを、坂崎幸之助さんがテレビで紹介している映像も残っている。
名前を知らなくても、その音は、あなたの耳を通り抜けているかもしれない。
たとえば、スタジオジブリの『おもひでぽろぽろ』(1991年)。都はるみが歌う主題歌「愛は花、君はその種子」の編曲は星勝だWikipedia — おもひでぽろぽろ。尾崎豊のアルバム『誕生』(1990年)は全曲の編曲を星勝が手がけ、オリコンで初登場1位になったWikipedia — 誕生。井上陽水「リバーサイド ホテル」も星勝の編曲でWikipedia — 星勝、ドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌として再びヒットしたWikipedia — リバーサイド ホテル。H2O「僕等のダイアリー」の編曲も星勝だWikipedia — 星勝。
聴きくらべ — 名前を知らなくても、耳を通り抜けているかもしれない
知らなかったら、今日からでいい。日本の音楽の裏舞台を支えた編曲家を、今から辿ってみてはどうだろう。
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▼この記事を書くきっかけになった動画
「歌を覚える季節は終わらない」
SOURCES
- Wikipedia — 星勝
- Wikipedia — ザ・モップス
- Wikipedia — 鈴木ヒロミツ
- Wikipedia — 氷の世界(アルバム)
- Wikipedia — 氷の世界(曲)
- Wikipedia — 二色の独楽
- Wikipedia — 安全地帯(ロックバンド)
- Wikipedia — ワインレッドの心
- Wikipedia — セカンド・ラブ(曲)
- Wikipedia — 多賀英典
- Wikipedia — オイルショック
- Wikipedia — 来生たかお
- music-calendar.jp — 星勝がアレンジャーとして行ったモップス以外の初仕事は井上陽水(2015)
- 昭和歌謡の編曲家 代表作一覧 — 星勝
- ShimaQ の 今日この頃 — 星勝さん(2020)
- zakzak — 昭和歌謡の職人たち 編曲家・星勝(2019)
- AllMusic — Psychedelic Sounds in Japan(The Mops)
- マイナビウーマン — 70年代ファッションの特徴(2019)
- note — 広東語カバーソング事典 譚詠麟編
- 週刊現代(現代ビジネス) — 浜田省吾『悲しみは雪のように』を星勝さんらが語る(2023)
- Wikipedia — 日本万国博覧会
- Wikipedia — an・an
- Wikipedia — non-no
- Wikimedia Commons — 写真(各写真の下にクレジット)
- Wikipedia — セーラー服と機関銃(曲)
- YouTube — 来生たかお「夢の途中」公式配信のクレジット
- Wikipedia — スローバラード
- Wikipedia — RCサクセション
- Wikipedia — おもひでぽろぽろ
- Wikipedia — 誕生(尾崎豊のアルバム)
- Wikipedia — リバーサイド ホテル
- Wikipedia(中文) — 愛的根源(譚詠麟・1984)
- Wikipedia — 小椋佳
- Wikipedia — 心もよう
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