Series — The Angry Ones · vol.1

怒れる人々
〜ロックは死んだのか〜

シリーズ「怒れる人々」vol.1。
若者たちが、言葉にできない思いを音楽にぶつけてきた11曲。ぜんぶ、このページの中で聴ける。

IN THIS ISSUE

「ロックは、死んだ」。

1995年、レニー・クラヴィッツはそう歌った。じゃあ、本当に死んだのか。確かめに行こう。

ロックは、怒りだけでできているわけじゃない。抱えきれない思いや、言葉にならない気持ちの爆発。誰かの怒りを、代わりに叫んだもの。世の中や制度への苛立ち。毎日の鬱憤。それでも、怒りのエネルギーから生まれた曲があるのは確かで、若者たちはずっと、それを音楽にぶつけてきた。

国に。レールの上を走るエリートに。テレビに。働くことに。押しつけられる「こうあるべき」に。その怒りを、笑いや、踊れるリズムや、大合唱に変えてしまう人たちがいる。1977年のロンドンから、2020年代の京都まで。怒りがどう受け継がれてきたか、順番に追いかけてみる。

答えを先に言ってしまうと、まだ死んでいない。多分。

「ロックは死んだ」と、ロックスターが言った

Lenny Kravitz - Rock and Roll Is Dead

アルバム『Circus』 / 1995

Lenny Kravitz「Rock And Roll Is Dead」この曲のページへ →

1995年8月、アルバム『Circus』からの最初のシングルWikipedia。題名だけ聞いて、多くの人が「何を言ってるんだ」と首をかしげた。

本人いわく、完全な誤解だった。「みんな、歌詞の中身を聴いてくれなかった。言いたかったのは上っ面のことなんだ。イメージが、音楽や才能や芸術より優先されている。ロックスターになるのに、ヘロインを打つ必要も、決まった振る舞いをする必要もない。自分らしくあれ、ってこと」Songfacts。

「ロックは死んだ」を爆音で歌うのは、お葬式の弔辞でシャウトするようなもの。故人、たぶん起きる。僕も「もう若くない」と言いながら、夜中の二時にラーメンをすすっている。お互いさまや。

その問いの18年前。ロンドンで、国そのものに怒る曲が出る。

夜の東京の高速道路沿いの看板に「ARE YOU ANGRY?」

放送禁止の、もうひとつの国歌

Sex Pistols - God Save the Queen

シングル / 1977.5.27

Sex Pistols「God Save The Queen」この曲のページへ →

1977年5月27日発売Wikipedia。エリザベス女王の即位25周年を国じゅうが祝う年に、国歌とまったく同じ題名のシングルを出した。もともとの題は「No Future(未来なんかない)」だったWikipedia。

4日後の5月31日、BBCは放送を全面禁止したHISTORY。大手のレコード店も扱わなかった。それでも置いた店では、多いときで1日に15万枚売れた。なのに公式チャートは2位HISTORY。音楽紙NMEのチャートでは1位。「チャートは操作された」という疑いは、今も語られているWikipedia。

歌ったジョン・ライドンは、30年後にこう振り返っている。「朝飯のテーブルで、ベイクドビーンズを食いながら書いた曲が、国をまっぷたつに割って、ポップカルチャーを変えた。そんな曲は、そう多くない」HISTORY。

怒りの矛先は、レコード会社でも、親の世代でもなく、国そのものだった。

公式チャートの2位の欄、実は曲名すら印刷されず、空白の一行だった(HISTORY)。国の祝いの年に、国歌と同じ名前の曲は「名前を言ってはいけないあの曲」扱い。

国を怒った男たちの、4ヶ月後。同じロンドンで、ひとりの少女がデビューする。

ステージで演奏するセックス・ピストルズ(1977年)
1977年1月、アムステルダムのパラディソで演奏するセックス・ピストルズ。「God Save the Queen」が出る4ヶ月前。
写真:Koen Suyk/Nationaal Archief(CC0)
ステッカーだらけのトイレのドアに「IS ROCK DEAD? NO.」

女の子は黙ってろ? 束縛なんか、まとめてくたばれ

X-Ray Spex - Oh Bondage Up Yours!

デビュー・シングル / 1977.9

X-Ray Spex「Oh Bondage Up Yours!」この曲のページへ →

1977年9月、X-Ray Spexのデビュー・シングルWikipedia。書いて歌ったのはポリー・スタイリン。セックス・ピストルズのライブを観て、すぐに書いた。1976年の夏、19歳のときだWikipediaWikipedia。

題名の「Up Yours」は、イギリスの悪態。相手が心底嫌いだと示すときに使う、かなり無礼な言葉だCambridge Dictionary。だから題名は「ああ束縛よ、くたばれ!」。

何に怒っていたのか。ひとつは、女の子に向けられる「こうあれ」だ。曲は、女の子はおとなしく見られていればいい、口をきくな——そう考える人たちがいる、という静かな前置きで始まる。そして次の瞬間、彼女は題名を絶叫するWikipedia。

もうひとつは、買って、捨てて、また買う暮らしそのもの。芸名の「ポリスチレン(発泡スチロール)」も、使い捨ての文化への皮肉だった。「ボンデージ」と聞いて世間はSMの歌だと思ったけれど、本人は「物質の世界の束縛から自由になる歌。奴隷や、鎖につながれたサフラジェット(女性参政権運動家)のイメージがあった」と語っているTotally Wired。

叫ぶ声に、陽気なサックスがかぶさる。吹いていたローラ・ロジックは、当時16歳Wikipedia。怒りは、最初から少しだけ笑っていた。

SMの歌だと思われていたら、中身は「買いすぎ注意」だった。月末のカード明細で魂のバッテリー3%の僕に、49年前から叫んでくれていたらしい。分かりみが深い。

ロンドンの叫びは、海を越える。5年後の東京。レールの上を走るエリートたちを、冷たく笑うバンドがいた。

キングス・ロードのヴィヴィアン・ウエストウッドの店
ロンドン、キングス・ロード430番地。ヴィヴィアン・ウエストウッドの店(いまの店名はWorld’s End。2013年撮影)。
写真:Mark Hillary(CC BY 2.0)
コンクリートの壁に「IS ROCK DEAD?」のステンシル

レールの上のエリートに、冷たい一発

BOØWY - ELITE

アルバム『MORAL』 / 1982.3.21

BOØWY「ELITE」この曲のページへ →

1982年3月21日に出たデビュー・アルバム『MORAL』の4曲目BOØWY資料集。作詞作曲は氷室京介。

住宅ローン、かわいい子ども。誰もが描く「幸せ」の設計図を並べてみせて、その上で、同じレールに乗って人を蹴落とす連中を突き放す。怒鳴らない。冷たく笑って、切り捨てる。レールの上を走る側への、短くて鋭い一撃。

当時のクレジットは「氷室狂介」。狂うの「狂」(BOØWYの記録)。名前の時点で、もう冷たく笑ってる。

東京で冷たく笑う声があった2年後。遠く青森の村から、東京に向かって叫ぶ声が届く。

1985年の原宿で機材を広げる若者たち
1985年4月、日曜日の原宿。歩道でバンドが機材を広げている。
写真:Marie-Sophie Mejan(CC BY 4.0)

田舎者の、魂の叫び。しかも、ほぼ実話

吉幾三 - 俺ら東京さ行ぐだ

シングル / 1984.11.25

吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」この曲のページへ →

1984年11月25日のシングル。作詞作曲は吉幾三本人。最初の仮タイトルは『離村者』だったWikipedia。

本人はのちにこう明かしている。「田舎を出てきたときの気持ちを歌にしようと思った。なんにもないのがイヤで出てきたんだよな」。歌っているのは1984年の村ではなく、彼が上京した1968年3月の、ふるさとの姿だったねとらぼ。

地元の人に聞くと、当時の金木町にもテレビもラジオもあった。ただし吉さんの家は、本人いわく「町一番の貧乏家庭」で、本当にどっちもなかったねとらぼ。

村に何も無いと嘆く歌を聴きながら、僕は社内チャットの通知だけは無限にある現実を噛みしめている。会議はある。結論は無い。決裁者は「一旦持ち帰ります」。持ち帰った先で、いったい何を育ててるんですか? 畑ですか? ……もう僕も東京さ行ぐだ。って、ここが東京でした。逃げ場、無ェ〜。

売れるまでが長かった。1973年、20歳で「山岡英二」としてデビュー。路線は、なんとアイドル。ところが同じ時期に郷ひろみ・野口五郎・西城秀樹。「俺を通してくれないんだよ」スポニチ。

この曲はどのレコード会社にも断られた。拾ったのは演歌の大御所・千昌夫。数百万円で原盤権を買い取って、世に出したWikipedia。のちに吉は、アメリカに渡った知人から送られてきたラップのレコードがヒントだった、と語るようになるWikipedia。

大ヒットのあと、事務所の電話が鳴りやまなくなる。「生まれたところをバカにすんな!」東スポ。吉が「子どもの頃はなかっただろうが」と言い返して、けんかになったこともあるねとらぼ。

もう1本 — 公式の「俺ら東京さ行ぐだ」

吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ(ビデオシネマ「純情編」より)」この曲のページへ →
ちなみにこのレコードのジャケット写真、撮ったのは北海道の増毛町(Wikipedia)。青森の村を飛び出す歌なのに、写真はもう海を渡っている。気が早い。

村の叫びから5年。今度は、テレビの電波に乗せて本当にやらかしてしまう人たちが現れる。

雪の中を走る津軽鉄道の列車
冬の津軽鉄道(2012年撮影)。吉幾三のふるさと・金木にも、この線の駅がある。
写真:TheoryJ(CC BY-SA 4.0)

その夜、テレビが事件になった

THE TIMERS - FM東京

フジテレビ『ヒットスタジオR&N』 / 1989.10.13

THE TIMERS「FM東京」この曲のページへ →

今や伝説の、THE TIMERSの放送事故だ。忌野清志郎に“よく似ている人物”ZERRYが率いる覆面バンドWikipedia。

火種は前の年。RCサクセションのアルバム『COVERS』は、原発を歌った「サマータイム・ブルース」などが問題にされ、当時の親会社・東芝からの圧力で発売中止になった。新聞広告の文句は「素晴しすぎて発売出来ません」Wikipedia。その後、別の会社から出たが、FM東京はオンエアを自粛したWikipedia。

1989年10月13日、フジテレビの深夜の音楽番組『ヒットスタジオR&N』。予定の曲を歌わずに、いきなり始めたのが、FM東京とFM仙台を名指しで罵倒する新曲「FM東京」だった。放送禁止用語つきENCOUNT。

司会の古舘伊知郎は、夕方のリハーサルで気づいていた。「歌の中で古舘伊知郎って26回言ったんですよ。本番でそこに違う言葉をはめるんだな、と」。楽屋に乗り込むと、返事は「大丈夫、大丈夫!古舘君、迷惑は掛けないから」。本番、出演者は笑い転げ、「僕だけ青ざめてる」。放送後に文句を言いに行くと、もう楽屋にいなかった。2週間後、西麻布のワインバーで鉢合わせした清志郎は、立ち上がって深々とおじぎし、小さな声で「ごめんなさい、古舘くん」スポニチ。

ちなみに、清志郎のRCサクセション「スローバラード」の編曲は星勝Wikipedia。その話の続きは、「君は星勝を知っているか」で。

関連動画 — 司会者が振り返るあの夜、火種になった曲

古舘伊知郎チャンネル「忌野清志郎さんの忘れられない話」
RCサクセション「サマータイム・ブルース」この曲のページへ →
THE TIMERS「FM東京」この曲のページへ →
実はこれ、生放送じゃなかった(文春オンライン)。もうひとりの司会のGWINKOが16歳で、深夜に働けない。だから夕方に撮って、そのまま流した。「これ流していいですか」と聞かれたプロデューサーの返事は「いいんじゃない?」。止める時間は、あった。止めなかった。

テレビという最大の拡声器で怒った夜のあと、怒りは、もっと小さな場所で、もっと手作りに鳴り始める。海の向こうの、小さな町で。

1991年、東京・河田町にあったフジテレビ本社。
1991年、東京・河田町にあったフジテレビ本社。
写真:Kirakirameister(CC BY-SA 3.0)

女子は前へ。「女らしく」は後ろへ

Bikini Kill - Rebel Girl

シングル(プロデュース:ジョーン・ジェット) / 1993

Bikini Kill「Rebel Girl」この曲のページへ →

1990年、アメリカ北西部ワシントン州の小さな町オリンピアで結成。ボーカルはキャスリーン・ハンナWikipedia。彼女たちが火をつけた動きは「ライオット・ガール」と呼ばれる。フェミニズムを掲げた、パンクの運動だWikipedia。

何に怒っていたのか。ハンナは回想録にこう書いている。土曜の昼、ダイナーで本を読んでいると、知らない男が勝手に同じテーブルに座ってくる。忙しいと断ったら、本を取り上げられて頭の上に掲げられた。夜、ライブで踊れば男たちに囲まれる。だから、踊るのをやめた。「性差別は私に、家にいろ、世の中に出てくるな、と言っていた」ELLE。

当時のパンクのライブは、最前列のモッシュで、女性がしょっちゅう暴行を受ける場所でもあったWikipedia。そこでハンナは、ライブで言い始める。「ガールズ・トゥ・ザ・フロント(女子は前へ)」。最前列で男がモッシュしていると、女の子からベースを弾くキャシの手元が見えない。「女の子が楽器を弾くところを見られなかったら、どうやって女の子がバンドを始めるの?」ELLE。

返ってきたのは「男嫌い」「逆差別」という罵声。それでも最前列には、いつも5、6人の女の子がいた。バンドは、その子たちのために演奏したELLE。

「Rebel Girl」は、その場所で鳴った曲だ。歌われているのは、ひとりの女の子への、隠しもしない憧れと恋。男が女を歌うのが当たり前だったラブソングの型をひっくり返して、女の子が女の子をまっすぐ讃える。それがそのまま、女同士の連帯の歌になったWikipedia。2024年に出たハンナの回想録の題名も、『Rebel Girl』だELLE。

「女子は前へ」と言われて、男子は後ろへ。僕はたぶん、言われる前から一番後ろで腕を組んでいるタイプだ。腕組みは、ライブハウスの「前向きに検討します」。でもこの曲が始まると、腕がほどけて、足だけ前に出ている。

怒りは海を越えて、女子の場所を作った。一方、日本の日常では、怒りは今日も飲み込まれている。たとえば、バイト先のレジの前で。

1990年代、オリンピアのライブハウス。最前列に詰めかけているのは、男たちばかり。
1990年代、オリンピアのライブハウス。最前列に詰めかけているのは、男たちばかり。
写真:Pat Castaldo(CC BY 2.0)

「いらっしゃいませ」の奥で煮えていた、本音のマグマ

打首獄門同好会 - はたらきたくない

ミニ・アルバム『そろそろ中堅』 / 2019

打首獄門同好会「はたらきたくない」この曲のページへ →

「生活密着型ラウドロック」を名乗るバンドWikipedia。2019年のミニ・アルバム『そろそろ中堅』の制作は、この曲から始まった激ロック。

きっかけは、ゲーム会社から急に届いた一通のメール。『WORK×WORK』という、働くゲームのテーマ曲の依頼だった。主人公はアルバイト中に、客の王子のいろんな思惑に巻き込まれて、魔王退治をするはめになる。どんな曲がいいかと聞くと、ゲーム会社のほうから「例えば曲のテーマは、はたらきたくないとか……」激ロック。

バンドは気をつかって、無難な曲も用意した。「僕はただのバイトなのに魔王退治で大変だ」という、キャッチーな歌だ。「はたらきたくない」のほうは、遊び半分で1コーラスだけ。ところが全員で聴き終わると、ゲーム会社の人たちは「こっちだね」と「はたらきたくない」を指差した。ボーカルの大澤いわく「ゲーム業界の方も、およそ感覚がおかしいんですよね」激ロックWikipedia。

怒鳴り散らすわけじゃない。重たいギターで、みんながレジの前や満員電車で飲み込んでいる一言を、代わりに鳴らす。大澤いわく「あんなに午前中のツイートが伸びる曲はない」激ロック。

日曜の夜、休みの終わりに聴くのはおすすめしません。月曜の朝の自分が、布団から出てこなくなります。僕が保証します。

ここまで怒ってきたのは、社会に出た側だった。2020年、まだ高校生の側がキレる。

放課後の教室の黒板に「ROCK 'N' ROLL IS DEAD?」

優等生がキレたら、社会現象になった

Ado - うっせぇわ

配信シングル / 2020.10.23

Ado「うっせぇわ」この曲のページへ →

2020年10月23日に配信された、Adoのメジャー1作目。詞と曲はボカロPのsyudouWikipedia。2021年の新語・流行語大賞では、トップテンに入ったWikipedia。

歌った当時、Adoは高校3年生。社会人の世界は、ドラマや映画で想像するしかなかった。「簡単に言えば“怒りの感情”みたいな。怒りの感情は学生にも共通している部分はあったので、そこをいかに強く出せるか」SCHOOL OF LOCK!。

「一旦持ち帰って、前向きに検討させていただきます」。これ、ちゃんと翻訳すると、たぶん「うっせぇわ」。社会人の言葉は、怒りを丁寧語で三重に梱包した宅配便だ。開けても開けても、中身はずっと同じ。この曲は梱包材を全部ひっぺがして、玄関で中身を投げてきた。受け取りのハンコ、押しときます。

syudouは「女性の目線にしよう」などとは一切考えず、普段どおりに書いた。返ってきたのは「いっさいの直しナシ」。サビで裏声に持っていくあの歌い方も、Ado自身のアイデアだった。「僕が歌のディレクションしたって思われることが多いんですけど、マジでなんもしてないんすよ!」SCHOOL OF LOCK!。

若い人たちからは「学校のルールに苦しみ悩んだ」という共感の声も届いたORICON NEWS。

怒鳴っているのは、もう大人じゃない。押しつけられる側だった世代が、古い「常識」をそのまま投げ返した。社会現象になったのは、みんなどこかで言いたかったからだと思う。

デモに返ってきた唯一の注文は「キーを4〜5個上げてください」(SCHOOL OF LOCK!)。優等生、最初から喉でキレる気まんまん。

押しつけられる側がキレる、その前から。京都では、別の怒りが1分半に凝縮されていた。

「なんで? ごちそうするのに?」に、1分半の返事

おとぼけビ〜バー - ジジイ is Waiting For My Reaction

京都 / 2020

おとぼけビ〜バー「ジジイ is Waiting For My Reaction」この曲のページへ →

2009年、京都の立命館大学の軽音サークルで結成された4人組Wikipedia。

相手は、断っても断っても「ご飯行こうよ」と誘ってくるおじさんだ。ボーカルのあっこりんりんいわく「めっちゃイヤな態度出してるのに気づかず口説いてくるおっさんの歌」。「普通メシめっちゃ断られたら脈ないってわかるでしょ? やつらは『なんで? ごちそうするのに?』って言うんです。おまえに時間割きながら奢られるメシより、ひとりでカップラーメン食ってるほうがうまいねん」。ずっと歌いたかったけれど、お客さんにオジサマが多いのでビビって作れなかった、ともRooftop。

2016年からはイギリスを回り、2018年にはアメリカのコーチェラに出演したWikipedia。本人たちいわく「字面だけでも意味がわからなすぎて『すげーミラクル!』ってみんなでわろてます」ANTENNA。そのあとも、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやグリーン・デイの大きな会場の前座に呼ばれ、2025年の秋には日本でフー・ファイターズとオアシスのアリーナ公演の前座も務めた。ギターのよよよしえは、ジャック・ホワイトやエディ・ヴェダーからも演奏を褒められているWikipedia。

ロンドンの少女の「くたばれ」も、オリンピアの「女子は前へ」も、京都の1分半も。怒っている相手は、だいたい同じだ。

1分半です。カップ麺より早く、ジジイを片付けられます。

国にも、レールにも、テレビにも、ジジイにも、怒ってきた。あの問いの答えは、実は同じ年に出ていた。

ロックは死んでない。ミネアポリスで、生きている

Prince - Rock and Roll Is Alive! (And It Lives in Minneapolis)

シングル「Gold」B面 / 1995

Prince「Rock And Roll Is Alive! (And It Lives In Minneapolis)」この曲のページへ →

1995年11月に出たプリンスのシングル「Gold」のB面。レニー・クラヴィッツの「Rock and Roll Is Dead」への、返事の曲だWikipedia。

この頃のプリンスは、名前すら名乗っていない。発音できない記号を名前にしていたWikipedia。そして人前に出るときは、顔に「slave(奴隷)」の文字。「Gold」が入ったアルバム『The Gold Experience』の発売を、所属レコード会社のワーナーが遅らせた。その契約をめぐる争いへの、報復だった。

題名は「ロックは生きてる。ミネアポリスに住んでる」。ミネアポリスは、プリンスが生まれて育った街だWikipedia。

会社に「奴隷」と書いて抗議していた男が、自分の街の名前を胸を張って歌う。ロックは死んでなんかいない。ここミネアポリスで、おれたちが鳴らしている——という宣言だ。そしてその街でいちばん大きな音を鳴らしていたのが、プリンス本人だった。

サビの大合唱、実はライブの観客の声をサンプリングしたもの(Wikipedia)。「ミネアポリスで生きてる」の証人を、ほんとに録音して連れてきた。
ファースト・アヴェニューの外壁の星とプリンスの名前
ミネアポリスのライブハウス「ファースト・アヴェニュー」の外壁に並ぶ星。2017年4月、プリンスの星の下に花が置かれていた。
写真:Lorie Shaull(CC BY 2.0)
紫に灯ったミネアポリスの橋(2016年4月21日)
2016年4月21日、プリンスが亡くなった夜。ミネアポリスのロウリー・アベニュー橋が、紫に灯った。
写真:Tony Webster(CC BY-SA 2.0)
革ジャンの猫が田舎の小屋でギターを弾いている。立て札に「ROCK IS NOT DEAD」

ロックは死んだのか。

1977年の放送禁止が、少女の「くたばれ」が、レールへの冷笑が、村の「なんにもない」が、テレビの放送事故が、「女子は前へ」が、月曜の朝の本音が、優等生のキレが、京都の1分半が。

一本の線でつながっていた。問いが出た1995年、答えも同じ年に歌われていた。怒りは、笑いに、踊りに、憧れに、形を変えながら、まだ鳴っている。

怒れる人は、まだまだいっぱいいる。引き続き、レポートを続けます。次回のレポートもお楽しみに。

この特集をシェア

▼この記事を書くきっかけになった動画

「なぜ、大人になると新しい曲を聴かなくなるのか【鳥類学×音楽心理学】」(汝、ヒトを知れ)

「歌を覚える季節は終わらない」

SOURCES

OTHER MAGAZINES — ほかの特集

すべてのバックナンバー →

ごきげん補給所をフォロー@oasisjoyrelief@joyreliefstation@joy-relief-station