Feature — rei harakami · 8 songs

君はレイ・ハラカミを知っているか

Aメロも、Bメロも、サビもない。それなのに、いちど聴いたら耳から離れない。
京都でひとり、小さな機材で鳴らされていた音。ここから8曲。

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20年くらい前、はじめて聴いたとき、
「こんな音楽、聴いたことない」と思った。

大げさじゃなく、「今まで聴いてた音楽は何だったんだ」とまで思った。歌もない。サビもない。なのに、ずっと聴いていられる。むしろ、止めたくない。

レイ・ハラカミ。広島で生まれ、18歳で京都へ移り、そのまま京都で音を作り続けた人All AboutWikipedia。デビュー作から順に、その音がどう広がっていったかをたどってみる。

最後に、ふたりの名前をひとつにしたユニットのライブが待っている。

デビュー作の表題曲

rei harakami - unrest

1998

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1998年のデビュー・アルバム『unrest』Red Bull Music AcademyTOWER RECORDS。その最後に入っている表題曲。後の作品に比べるとテクノ色が強いが、あの深いディレイと、左右に振れる音と、ぬるっと滑る音程は、もうここにあるRed Bull Music Academy。

使っていた音源は、ローランドのDTM用モジュールSC-88Pro。本人いわく、それを長年「買い換えてないので、ああなっちゃう」TOWER RECORDS。

誰かがこの人の音を「電子の水彩画」と呼んでいた、と僕は記憶している。にじんで、混ざって、輪郭がはっきりしない。なのに、どこを切っても彼の色をしている。

3年後、その水彩画は、もっと形容できないものになる。

夕暮れの鴨川(川瀬巴水の版画、1923年)Photo: 川瀬巴水 (Kawase Hasui) / Public domain / Wikimedia Commons

僕の音楽観を変えたアルバム『red curb』から

rei harakami - cape

2001

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僕の音楽観を変えたのは、2001年のアルバム『red curb』だったWikipediaTOWER RECORDS。ポップスで育った耳は、曲を「Aメロ・Bメロ・サビ」で数えてしまう。でもこのアルバムは、そのどれにも当てはまらない。言葉にしようとして、できなかった。いまだに形容できない。

本人のコメントが残っている。「3枚目の制作にあたって、もう好きな事ばっかりやろう、というか、好きな事しか出来ないなあ…なんて考えながら作ってました」rings。

ele-kingのレビューは、こう書いた。「彼が愛したロバート・ワイアットのように美しい作品だが、思い詰めた悲しみというものはない」ele-king。

「今まで聴いてた音楽は、何だったんだ」
このアルバム、出したら引退するつもりだった、と本人(rings)。辞める気の人が、いちばん自由な音を出してしまった事件。

この音を、ほかの人たちも放っておかなかった。最初の大仕事は、UA。

ローランドの音源モジュール SC-88ProPhoto: Darklanlan / CC BY 4.0 / Wikimedia Commons

ハラカミが共同プロデュース

UA - 閃光

2002

UA「閃光」この曲のページへ →

UAの「閃光」。ハラカミは共同プロデュースで関わったBARKSWikipedia。

本人は、こう振り返っている。「彼女にとっては久々のソロで、しかも初めての作詞作曲で、『ワーッ!』となってるわけですよ。僕は僕で、ちゃんとしたスタジオで誰かと一緒にやるっていうことに関して、右も左もわかってないですから。それまではただの引きこもりですからね(笑)」TOWER RECORDS。

人の曲を、自分の音に塗り替える。くるりの名曲でも、それをやった。

先斗町の提灯「京の夕涼み」Photo: Sergiy Galyonkin / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons

ハラカミのリミックス

くるり - ばらの花 (remixed by Rei Harakami)

『ワールズエンド・スーパーノヴァ』より

くるり「ばらの花 ~remixed by Rei Harakami」この曲のページへ →

くるりのアルバム『ワールズエンド・スーパーノヴァ』に入っているリミックス。2003年、これを聴いた矢野顕子が、ハラカミの才能をキャッチした。ハラカミのほうは、デビュー・アルバムのころから矢野顕子の音楽を深く敬愛していたヤマハミュージックコミュニケーションズ。

ふたりの交流は、その年の矢野顕子の恒例コンサート「さとがえるコンサート」のトラック制作を頼まれたところから始まるヤマハミュージックコミュニケーションズ。原曲を知っている人ほど、最初の数秒で「あ、ハラカミだ」と分かるはず。

聴きくらべ — 元の「ばらの花」

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そして2005年。今度は自分の声で、人の曲を歌ってしまう。

夜の先斗町(京都)Photo: Sergiy Galyonkin / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons

細野晴臣の「終りの季節」を、本人が歌う

rei harakami - owari no kisetsu

2005

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2005年のアルバム『lust』。以前共演していた矢野顕子は、このアルバムに「世界遺産に決定。文句無し。」と言葉を寄せたAll AboutBARKS。もちろんユネスコとは関係ない、矢野顕子の独断の認定だ。僕はずっと yanokami の頃の話だと記憶していたけど、ユニットとしてデビューするより前の言葉だった。

その『lust』で、細野晴臣が1973年の『HOSONO HOUSE』に入れた「終りの季節」をカバーしている。歌っているのは本人NiEWWKNCWikipedia。抑揚をさらに抑えた、ぶっきらぼうな歌い方に、宅録の人らしさが出ているNiEW。

このハラカミ版、もとは yanokami でカバーするためのデモだった(NiEW)。下書きが、そのまま清書になってしまった事件。

自分の声の次は、人の声と、詩を連れてくる。

四条河原の夕涼み(二代歌川広重、1860年ごろ)Photo: 二代歌川広重 (Utagawa Hiroshige II) / CC0 / Wikimedia Commons

谷川俊太郎の詩を、原田郁子が読む

rei harakami - yami wa hikari no haha

2006

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日本科学未来館のプラネタリウム作品『暗やみの色』の音楽。2005年から2007年まで上映された。谷川俊太郎が詩を書き、クラムボンの原田郁子が朗読した日本科学未来館。

肉眼では見えない暗い星まで映し出す投影機に合わせて、ハラカミは、映し出される星の数と、自分の曲で使う音の数のバランスにこだわったCINRA。

星の数に合わせて、音の数を決めていた(CINRA)。プラネタリウムで、音まで数えていた人。

ひとりで鳴らしてきた音は、最後に、ふたりの音になる。

先斗町の路地を歩く二人Photo: Sergiy Galyonkin / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons

最後に、これをどうぞ

yanokami with U-zhaan - 終りの季節

Live

yanokami with U-zhaan「終りの季節 @ yanokami indoor festival」この曲のページへ →

矢野顕子とレイ・ハラカミのユニット、yanokami。2007年にアルバム『yanokami』を出しているWikipediaヤマハミュージックコミュニケーションズ。

05章でハラカミがひとりで歌った「終りの季節」が、ここではふたりの曲になって、U-zhaanのタブラと一緒にライブで鳴っている。

2011年の春、震災のあと、矢野顕子は京都まで会いに行った。京都駅ビルの喫茶店で、パフェを食べながら、2〜3時間話し込んだという京都新聞。

2011年、40歳で亡くなった京都新聞。

音は、まだ古びていない。

君はレイ・ハラカミを知っているか。知らなかったなら、今日からでいい。

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▼この記事を書くきっかけになった動画

「なぜ、大人になると新しい曲を聴かなくなるのか【鳥類学×音楽心理学】」(汝、ヒトを知れ)

「歌を覚える季節は終わらない」

SOURCES

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